未だ車道の開かれざるこの峠を越えた記録が、串田孫一編「峠」にある(寄稿者・望月達夫)。当時の峠には「武道峠」と書かれた国界標石と地蔵尊があったようである。また寄稿文では『山岳』第二十年第一号所収の大島亮吉「小倉山」を引用し、この峠がブド峠と記すこと、山名からきていることを紹介。「大正十二年九月、甲府の山砲大隊が栂峠および此のブド峠を通過せし際改修され、其後通行者増え、群馬側よりは長野側の牧場に夏期間送る放牧馬の通過迄出来得る程度の良き道路となりたり」。
・分水嶺辞典・ぶどう峠