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関東と越後、佐渡を結ぶ三国街道。文明18年(1486)の道興准后の「廻国雑記」に越後から越えた記録があるほか、さまざまな文献に紹介されており、古くから知られた峠であった。戦国時代は上杉謙信の軍が越え、また滝川一益と上杉勢の戦い「三国峠合戦(滝川合戦)の舞台となっている。近世には五街道に次ぐ重要路として整備され、長岡藩、村松藩の参勤交代、佐渡奉行や新潟奉行の往来もあった。
明治に入ると東の清水峠が国道として整備され(明治18年)、一時的に衰退。だが清水越新道も積雪による破損がひどくて通行困難になり、三国峠越えが再び盛んになった。明治26年に鉄道信越線が、昭和6年に上越線が開通し再び衰退。
戦後の道路整備事業が本格化した時、13号雄勝峠、29号戸倉峠と並び「自動車の通れない国道の三大峠」として整備が急がれた。昭和27年に着工、延長1218mの三国トンネル、日本初のクロソイド曲線を利用したカーブなどをふくむ車道が開通したのは34年6月のことであった。
旧峠には三国権現を祭る祠があるが、古くは上州一の宮の貫前神社(経津主命)、越後一の宮の弥彦神社、信州一