鉄、米、木炭などの生活物資が運ばれた峠。天文五年(1536)には尼子の軍勢が、また天亀三年には山内豊通の手勢が越えた。近世には一揆を図る農民たちが激しく行き来したと出典にある。明治34年(1901)県道庄原-新市線として拡張改修。全長約9.2kmと徒歩越えの峠に比べて倍するような道ができた(現在の旧道)。昭和48年(1973)にバイパス工事が行なわれ、2本のトンネルを含む新道が完成。(ふるさとの峠と街道)