高知市から県の西部へ向かう時、最初に現われる難所。現在は新旧二つのトンネルが抜ける(昭和28年、昭和49年)。古くは鶉坂といった。江戸時代、宇佐の港にあがったカツオを無塩のままで城下の雑喉場に運ぶ「宇佐の夜売り」が流行。宇佐で一匹50匁のカツオが、城下では70匁で売れたという。四里の距離(含むこの峠)を一時間弱で駆け抜ける稼業は、「あぶない事をしてこりぬもの」(真覚寺日記)として堕胎と同列に比喩されていたとか。(以上「土佐の峠風土記」)