伊東氏の城下町として栄えた飫肥と都城とをつないだ牛峠往還。地形図に表記があるのは明治27年前後に開かれた馬車道で、峠に祠もある。ドビキと呼ばれる馬運送が盛んで、昭和9年に日南市〓都城市をつなぐ国道ができるまでは荷馬車が物や人を載せて行き来した。 この峠より南西に400mほど峰伝いに行った所に旧峠。伊東氏が籠で通った「殿様道」であったといい、「従是東飫肥領」と刻まれた石碑が建っている。現在の上熊トンネル付近から「一之坂」を登っていくものだったという。(「九州の峠」)