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木曽谷を通る中山道から伊奈谷へ抜ける道として、元禄9年(1696)に牛馬も通れるよう改修された。通称「権兵衛街道」。木曽宮越村神谷の牛行司・古畑権兵衛の尽力によるもので、峠の名前もここから来ている(それ以前は鍋掛峠と呼ばれる難路であった)。
明治44年の鉄道中央西線の開通によって交通量は激減したが、昭和50年に旧街道(権兵衛峠、姥神峠)が国道361号に指定されている。昭和52年にはこの峠の嶺を越える経ヶ岳林道が開通し、車も通れるようになったが、翌年に交通死亡事故が起こるなどして通行禁止となった。のち57年に国道編入され、県の単独事業として舗装化整備が進められ、59年9月に完成。現在峠の下を抜けるトンネルを掘削中。(「峠の道路史」)
出典では権兵衛峠トンネルの長さを2650mとしているが、私が見た現地の看板では4kmを越す長大トンネルになるようである(2002年8月)。またこの時点で姥神峠下のトンネルはすでに貫通しており、神谷の集落へ降りるためのループ橋も舗装を残すのみという状態であった。詳細は下記リンク参照。(ながとみ)