それまで北の峠集落を越えていた徒歩道(中山道)に対し、牛馬車通行可能な道として明治18年に開削。また昭和8年の内務省直轄事業で自動車交通が可能な道路へと改修されている。184のカーブや旧信越本線のアーチ群などでも知られる。(「峠の道路史」)