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峠から西へ、西城町の市街地まで下る通称「東城道路」は100カ所以上のカーブと平均勾配6.4%の難所。明治16年(1883)に西城町から鹿深谷-三の谷頭-保田・藤の木に出る十尺幅の車道が開設された。この旧道の狐原に伊勢神社と大仙神社が祭られている。明治34年(1901)には鹿深谷ルートが廃され、南回りに幅12尺の馬車道ができた。完成までに十年の歳月がかかったという。この時、遠方の谷川から溝を掘って水を引き、上から水を流して約40mも峠を掘り下げた。岩石の少ない赤土だったからこそできた奇抜な方法だが、完成後はそれが逆に災いして、雪解けや雨期になると毎年崩壊を起こして人々を苦しめたという。
昭和8年に失業対策事業としてこの道の改修がもちあがり、路面をさらに3m掘り下げるなどして大改修を行なった。(「ふるさとの峠と街道」)