コメントの書き方 写真アップロード・一覧 | 出典一覧| タグ一覧 ■峠の概要 飛越両国を結び、飛騨で「年取り魚」として珍重されていたブリを運んだ「ブリ街道」の一つ。毎年暮れになると、越中からこの峠を越え、飛騨高山に向けて塩ブリが運ばれた。国境は越中側に大きく入り込んでいるが、これは当時の勢力の差(飛騨は天領だった)に関係している。明治になって付近の森が国有林となり、再び町村に払い下げられ、さらにそれを買った業者が境界争いを起こして裁判沙汰になっている。最終的に昭和46年、県や町村、当事者の協議で現在の県境が確定している。この境界に沿って花崗岩製の県境柱が6本建てられた。(「峠の民俗地誌 -境をめぐって-」より)